Q. 先進国の中産階級より下に未来はあるのでしょうか?
ボーダーレス化により中国、インドを始めとした国々の貨幣価値の差が、アメリカや日本の国民の仕事を奪っていることは明白です。こういう場合、国民は自己防衛にやっきになっているところでしょう。昨今、仕事はフリーターしかない、人や下請けのリストラで自殺者の増加も目立ちますが、「失われた10年」以降の時代の人は、気の毒に感じます。

A. まず、安い労働力のところに仕事が流れていくのは、善し悪しにかかわらず、「経済の宿命」だと思うのです。その昔(昭和30年代?)は、日本に仕事が流れてきましたし、今は中国や東南アジアに流れていきます。しかし、中国とて、いつしか賃金は上昇します。そうなれば、今度はカンボジアや南アフリカへと流れていくことでしょう。つまり、

経済力が低い国 = 賃金が安い国 ← 仕事流入

経済力が上昇する = 賃金が高くなる → 仕事流出

ということが起こるのは、不可避の宿命なのでしょう。

 この10年(いや、20年)で日本に起こったことは、経済の発展とボーダーレス化(ボーダーレス化は、主に、アメリカからの規制緩和の圧力とインターネットによる情報革命によって進展しました)によって、日本が「メガ・コンペティション(= 世界の『大競争時代』)」に参入を余儀なくされたということだと思っています。
「メガ・コンペティション」は、一国の経済をどう変えるかというと、経済の原理を、能力主義を基盤にしたものに変貌させ、「優勝劣敗」を鮮明にします。

 さて、そんな中で、「中産階級より下に未来はあるのか?」を考えると、答えはYES ですが、ただし、「きちんと勉強し、自分を高め、適切な努力を続けること」という条件が付与されると思うのです。つまり、現在において中産階級であることは問題ではなく、近い将来に「知的上流階級」へと自らを変貌させていけるかどうかにかかっているのだろうと思います。
また、自己責任の下で、適切なリスクを取って「投資」をすることも、いわゆる「中産階級」からの脱却には必須要件となるでしょう。国や企業が、個人の将来を約束してくれる時代は終わっていますから、いつまでも「親方日の丸、寄らば大樹」の発想を持っていては、未来は先すぼまりになってしまうでしょう。
なお、この「投資」には、株式投資や不動産投資、金投資はもちろんのこと、「自分への投資(= 勉強と研鑽)」という広い概念の投資が含まれます。

 以上、すごく理想論的かつ教科書的なことを申し上げたかもしれませんが、「失われた10年」以降の時代の人は、もっと「自分を磨くことの重要性」に気づき、「夢」や「希望」を描いていくことが肝要なのではないでしょうか。
(「夢」や「希望」を持てない時代といわれていますが、「自分はどうなりたいのか」を個々の人間がもっと真剣に考えれば、何かが見えてくるのではないかと常々思っております。)





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